人生で初めて「即興」という言葉に出会ったのは まだ幼い頃、
ショパンの「幻想即興曲」
(聴きたいひとは
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当時、極度のバッハ好きであったマセた子供の自分には
この激しく華麗な曲に感情的についていけず
「即興」の意味など考えもしなかった。
今聴くとこの名曲の「即興性」が感と理でわかる。
構築性の高い楽曲と比べるともっとよくわかる。
勿論クラシックでの「即興曲」は「即興的に作った、自由度の高い」ということであり、
その場で完全に即興で演奏されたものではない。
しかし、いきなりの導入部から ある一つの曲想を維持しつつ情感が時々刻々と変化し続け
聴く側の内面は其れに翻弄されるままあっという間に終局を迎える。
随分前に、この促がされた体験の時空を超えた「リアルさ」を省していた際にベルグソン哲学の「純粋持続」という概念を思い出した。
ベルグソンは云う。
「真の実在は純粋持続であり、持続が弛緩すれば生命が物質化するが、持続の緊張は生命の飛躍となり、創造的進化となり、直観によってのみとらえられる」
その時、膝を打って得心した。
つまり、あの即興曲で受ける感動は、ショパンの「持続の緊張」にノセられたのである。
既に構築された音楽乃至振り付けは 演奏・演舞されることにより即興性が加味される。
その加味とは構築した者の直観をリアルに捉えた場合に 成功する。と思われる。
即興的であっても多々不連続が入れば 美的体験とは成り得ない。
「弛緩」という不連続点が入ることで飛翔は地に堕ちてしまう。
しかしまた不連続自体が純粋であればそれも持続となる。
●高水準に維持される持続の過程は美的体験を齎す●